【CDレビュー】00-ism GOMES THE HITMAN

はじめに 00-ismとは


このCDアルバムはGOMES THE HITMAN(以下、GOMES)の00年代にリリースされたアルバムをまとめた
3枚組ボックスセットでmono/omni/rippleの3作品の内monoは廃盤となっていて実質入手不可となっていた。
今回、それが再発されるという喜びに加えて、3枚ともがリマスターされボーナストラックが追加され、その全てが総括されることとなった。

まずは副題についている「including some miscellaneous debris」が気になるわけだが、デブリって言葉はまず良い意味では使われない。瓦礫とか残骸とか。
自嘲しつつ再発するというのも辻褄が合わないので、これはアメリカのロックバンド、プライマスが出したカバーアルバムのタイトルmiscellaneous debrisからの引用と想像する。
確かにこの3枚組も歌詞の世界観は連なっていても、曲調は同じ作曲者とは思えないカバーアルバムのような彩りを備えている。
今回、リマスターでさらに聴きやすくなり(特にmonoの音質向上は凄い!)
追加曲はしっかりブックレットに歌詞まで記載があるので(意外とない場合も多い…)
買わざるを得ないアルバムとなっている。

それでは1枚、1枚聴きなおしてみよう。これから書き連ねる深読み、穿った見方は全て私の感想。真に受けないことをオススメする。

mono


先述した通り、このアルバムは廃盤となっていて、今では法外な価格を突っ込まなければ入手できない希少盤となっていた。私も過去にCD盤単品だけをヤフオクで競り落とした経歴を持っていたり。
という訳で歌詞カードとは初対面で聴き進めていく。

GOMESのアルバムジャケットは水平線、地平線をモチーフにしたものが非常に多くこちらも例によって地平線なのだが、そのほとんどが空で、雲に大きく覆われている。
曲調も雲に覆われているようで今までのGOMESを期待して聞くと面食らうことだろう。
白い人や、馬のフィギュアが落ちているのか、空に舞い上がっているのかその謎を歌詞カードを頼りに15年ぶりに挑んでみよう。

まず、最初の曲が「別れの歌」というタイトルの時点で幸せの予感はしない。
しかし、次の曲の「夜明けまで」は恋愛の頂点の瞬間を切り取ったような展開となり時系列としてどちらが先か気になるところだ。

それをピークとして内省的なムードに舞い戻り5曲目の「言葉の海に声を沈めて」では《僕の尾行を続ける探偵》とか《書店で手にした雑誌には僕の書き損じた文章が見覚えのない名前を連ねて踊ってた》とかかなり重症な言葉が続く。

GOMESの曲では猫が歌詞に出てくることが多いが、今回は雨の方がよく出てきて10曲目の「表通り」では浮かない顔の僕は窓の外に降る雨をずっと見ていたりするし「別れの歌」では川に注ぐ雨が降り出したりする。それを思うと、「夜明けまで」で《やがて降る雨》と歌われるのは確実な時系列を示していて9曲目の「百年の孤独」での《二人だけで手に入れた新しい声は》とは喪失した《二人しか知らない言語で咲いた》会話の記憶となる。《羽根のようにずっと舞っている》とも歌われるこの曲を踏まえるとCDジャケットのフィギュア達は舞い上がっているようにも思えてくる。

しかし、6曲目の「新しい人」では雨が川を下って蒸気となり、雲に還る様が歌われている。繰り返し出てきた雨は当然、降り注ぐものだが、蒸気となり舞い上がるもの循環するものという意味が付け加えられた。そうなるとフィギュア達は落ちてもいるし、舞い上がってもいるのだ。落ちては上がり、上がっては落ちる。循環。
《浮かび沈む言葉》を読み続けて《思い出と名のつくものたちにただ囲まれて暮らす》生活。午後6時の鐘の音に囚われ、1歩も動けずにいる曇天の停滞。

救いもなくこのアルバムは終了するが、今回のボーナストラックの「娘よ」では《時が経てば君にもいつか わかるようになるときが来るからね》と歌われる。15年越しに救いが追加され、循環と停滞からようやく抜け出した。

今回追加されたボーナストラックが流れを断ち切るようなものではなく、新しく意味が追加されるような曲で本当によかった。

希少盤となったmonoも15年経てば救われる。

omni


さて、続いてはomni。

ジャケットの地平線比率はうんと変わり、五分五分に。雲も遠くにしか存在しない。1曲目がインストの計10曲という構成はmonoと変わらずも曲調は青空を同じくらいポップにきらびやかに。ジャケットの子どもが気になるけど…

2曲目の「愛すべき日々」ではストリングス満載でポップネスに幕を開けるが歌詞はmonoの「忘れな草」を引きずっていて少し不安になる。《遠い大空を見上げたなら》と歌われていたのは《遠い空から見下ろしたら》と対比になっているが、同じく神に誓ったりもしている。《不確かな暮らしの中あなたがいてくれたら》というあたりで未だ停滞の中にいるのか、と思いつつも、3曲目の「20世紀の夏の終わり」で《不確かな音色にさよなら》と早くも決別が打たれる。

かと言って完全な決別というわけでもなく。4曲目の「day after day」では曲調はGOMES指折りにポップにもかかわらず、《記憶を照らす体温に》《触れあった手》という言葉はmonoの「別れの歌」の《右手の冷たさ》という言葉とリンクする。monoと連続しつつも、圧倒的な躍動感を持つこのアルバムの不思議はなんだろう。

5曲目の「そばにあるすべて」では《雨上がりの路地に子供達の声がする こんな世界にひとつでも守るべきものがあって救われている》と歌われる。雨上がりという言葉から、monoで降り注いだ雨のあとが連想されるがひたすらに内向きでいた主人公が他者、他人の子どもに目を向けている。これは主人公の異なる別の物語なのか?いや、そう考えるにはこの曲は「目に見えないもの」との符合が多すぎる。

受け止めることが出来たのだ《限りある幸せ》への囚われから、不幸せも、こんな世界も。8曲目の「それを運命と受け止められるかな」では《立ち込めた雲が今静かに 動いてゆくような気がする》と静かな気配が示される。monoのジャケットに立ち込めていた雲は今、晴れようとしている。10曲目の「happy ending of the day」では《愛すべき日々に抱かれて》と歌い、愛すべき日々=monoをも受け止めることが出来た。

monoの世界とomniの世界の分岐点は(ボーナストラックから引用するなら「三叉路から」)他人への眼差し、社会への眼差しの有り無しであり個のブルースからアーバンブルースへの視座の変更こそが、このアルバム達の唯一の変更点でmonoとomniは極めて連続的、重ね合わさった双子たちなのだ。

そうなるとomniのジャケットに子どもが写っているのは、もはや必然で彼(彼女?)の声のおかげで、この世界を引き寄せることが出来た。

平成の終わりの夏に「20世紀の夏の終わり」を聴く趣きについて書こうかと思いましたが、長くなるので割愛します。次へ。

ripple


さて、最後のrippleへ。

ジャケットの地平線比率は山があるからか、地上の勝ち。空には雲が多いが青空だ。monoのような雨は降らないだろう。(そもそもDeath Valleyに雨は降るのか??)
何故こうも地平線にフォーカスしたジャケットが多いのか。偶然ではないだろう、とすればどんな意味があるのか。地上と空にどんな意味を付与しているのか。

GOMESのフルアルバムに限れば、唯一の異端ジャケットcobblestoneを考えてみよう。このジャケットでは石畳を大きく写し、空の入り込む余地はない。地上のみである。また歌詞カードに繰り返し出てくる路線図は地上の簡略図であり、空の視点はない。反対にmonoの空への偏りは前述した通りだ。cobblestoneとmonoの差異、それに着目すれば自ずと地上と空の意味も分かるのではないだろうか。

しかし、今回のテーマはrippleだ。それはまたいつか書くことにして強引にまとめよう。
地上=日常の生活、肉体、行動
空 =内省、精神、思考
こんな分け方を、読み替え方をしてみたらどうだろうか。根拠が分からない?いや一旦、そう仮定して話を進めてみよう。

rippleに話を戻す。
omniのポップネスは鳴りを潜めて、夜のイメージで統一されている。今回、歌詞中に影という言葉が繰り返し出てくるが、夜で影なら月明かりかと思いきや3曲目の「手と手、影と影」では《燃えるように染まる赤》と歌われる。月明かりに限らず、太陽の光も加わるらしい。夜から朝にかけてのイメージか。何より、染まる赤ということは視点は太陽にはなく、光を浴びた側=地上にあり、それは影も同じである。

5曲目のタイトルが「RGB」であることからも光が(そして影が)テーマであることは間違いない。

夜というのは地上と空の境目が曖昧になる時間帯だ。内省的に為らざるを得ない時間帯と言える。そんな中、影は地上の輪郭を強調する効果を持ち影を確かめることによって地上=日常の生活に留まることができると言える。

7曲目の「サテライト」の《見失った道を照らす朝焼けの向こうから》とか、8曲目の「夜の科学」の《何も見えないまま朝が来るのを待つだけ》では朝の渇望が歌われ、地平線の明確なコントラストが待たれている。2曲目の「ドライブ」の《浮かび上がる山の形》のように、このアルバムでは地上と空の境目が曖昧な内省の世界で影を確かめ、朝を待ち、地平線を探している。

もはやmonoとは相当に離れた道のりを歩むことが出来たのだ。monoのはじまりでは《ほどけてゆく心の結び目さえ》とあったのにrippleの最後では《きつく結んだ靴紐がまたいつの間にかほどける距離を歩いたんだ》と歌われる。(6時の鐘に囚われた囚人はDeath Valleyまで歩いてしまった)
地に足のついた状態で空に祈る。それはmonoの停滞とは異なる、明日に踏み出す祈りでありタイトルのrippleは水の波紋ではなく、音の波紋。《声の限りに歌う》祈りを思わせる。

また、ボーナストラックの「かげおくり」とは地上に映る影を空におくる遊びだ。つまりは、自分の外側の日常の生活を内省する作業と言い換えることができる。この些か矛盾した言葉をなおすとすると、他者への、世界への祈りの眼差しとなる。

GOMESの音楽は決して特別な音楽にならない。日常に溶け込み、寄り添い、生活の一部になるカレンダーソングだ。それは雨や、雨上がりを歌い、夜を待ち、夜の向こう側を思う
愛すべき繰り返しの歌であるからだろう。

エバーグリーンという万能過ぎるマジックワードは好きではないし、季節の移ろいのように色褪せ、また輝き、循環していくことが日常だ。病める時も健やかなる時もGOMESの音楽は私たちに寄り添う。ほんの少しの祈りを込めて。

最後に

rippleを最後にGOMES THE HITMANは活動休止へと向かいソングライター山田稔明のソロ活動に進む。
ソロ作品のpilgrimとhome sweet homeでもジャケット地平線ルールは継続しているが、ソロ3作目の新しい青の時代で地平線ルールはなくなりその代わりに「一角獣と新しいホライズン」という曲が歌われる。
けれどもこれは別の物語、いつかまた、別のときにはなすことにしよう。

ここまで読んだのに、まだ00-ismを持っていない人はオフィシャル通販サイトに急ごう。一応、amazonで全曲試聴できます。

GOMES THE HITMANオフィシャルサイト
http://www.gomesthehitman.com/

オフィシャル通販サイト
http://gomesthehitman.shop-pro.jp/

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